プロ野球再編問題 ストライキドキュメント

2004年6月13日にオリックスと近鉄の合併構想(=近鉄の球団保有権をオリックスへ売却した上で統合)が表面化。これに対し両球団のオーナー・経営陣があまりの事の唐突さに労働組合日本プロ野球選手会と野球ファンの猛烈な反発を受けた事がこの問題の発端である。

さらにこれを機に、経営難に陥っているパシフィック・リーグ各球団が人気のあるセントラル・リーグ球団からの救済を求めたことに加え、球界の独占的な支配を図っていると一般から見なされた読売ジャイアンツオーナー・渡邉恒雄を始めとした一部球団オーナーが球団数を大幅に削減しようと考えていたことにより、8 – 10球団の1リーグ制への流れが急速に進んでいったことも明らかになった。

これを受け、選手会長の古田敦也はオーナー達との対話を求めようとするが、7月8日に渡邉がスポーツ記者の「明日、選手会と代表レベルの意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が代表レベルだと話にならないんで、できれば、オーナー陣といずれ会いたいと(言っている)」との問いかけに対し「無礼なこと言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と発言、対話拒否の態度を示した。これにより選手会とファンはますます合併推進派に対する感情的な猛反発を強め、問題は野球界のみならず政界・経済界・労働界までも巻き込むこととなった。

「第2の合併」こそ経緯のあやふやさもあって実現を見なかったものの、オリックスと近鉄との合併は周囲をほとんど無視する形で一方的に決定された。経営困難に陥った企業が同業他社との合併に救済を求めるのは特別な事ではないが、他社への身売りではなく合併を選んだことへの野球ファンの反発が大きかった。それに対して、周囲がいくら反発しても経営の悪化が解決するわけではなく企業努力として当然とする反論も出されたが、発表から1年も待たずに合併を推し進めようとしたことから球団存続の危機感にあるファンの動向を見守る期間が十分に与えられるとは言えない事もあり企業努力に対しても疑問を持たれ、ファンの反発を抑えることはできなかった。選手会は「2リーグ12球団維持」を求め、翌2005年からの新規球団参入を求めプロ野球機構(NPB)と数度の交渉を持ったものの確固たる約束を得ることができず、選手会はついに9月18日・19日の2日間にわたって日本プロ野球史上初のストライキを決行した。その後行われた両者の交渉によって、新規参入の確約をはじめとした合意を得ることとなった。

新規参入にあっては、かねてから近鉄買収に名乗りを上げていたものの果たせなかったライブドアと、ライブドア同様のITベンチャーであり、ライブドアに続く二番手として名乗り出た楽天とが競う形となり、「IT戦争」と大きな話題となった。当時の世論は『この問題の突破口を開く形を作った』『近鉄の救世主』等の理由からライブドアを支持する意見がほとんどだったものの、実際には健全な経営が行われていると見なされた楽天が加入を認められた。楽天はプロ野球界では1954年の高橋ユニオンズ以来、50年ぶりの新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスを設立。

2004年はこれらの問題のみならず、日本プロ野球界の抱える数多くの問題点が一気に噴出した年だった。特に球団オーナーの内、自由獲得枠選手の獲得に関わる金銭不正授受問題(一場事件)で巨人・阪神・横浜3球団のオーナー(渡邉、阪神・久万俊二郎オーナー、横浜・砂原幸雄オーナー)及び阪神・野崎勝義球団社長が辞任、さらに西武鉄道グループの不正経理問題で西武ライオンズの堤義明オーナーが辞任と、ソフトバンクへ売却された福岡ダイエーホークスを含め翌年まで存続した11球団の内半数の6球団(巨人・阪神・横浜・西武・ダイエー→ソフトバンク)のオーナーが交替するという異常事態となった。

その後、これらの諸問題は時の流れと共に一応の解決を見たものもあれば、形骸化したものもある。

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