【1964年の東京オリンピックに向け・・・首都高 建設】
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1964年の前回のオリンピックに向けて、東京はインフラ整備が急ピッチで進み、景色が大きく変わりました。
多くの道路、鉄道、建造物などが生まれた当時の映像を、シリーズで公開します。
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オリンピックまでに、東京の慢性的な大渋滞を緩和しようと、“夢のハイウェー”の計画が実行に移されます。
オリンピック開催が決定した1959年に首都高速公団が設立され、開幕までの5年で、羽田空港とオリンピックの関連施設を結ぶ約33kmを開通させるのです。
1962年頃に撮影された上空からの映像では、芝浦付近の橋脚はできています。
都心環状線の浜離宮付近の路面は未舗装のようです。
埋立地を縫うように走る羽田線の高架も大分完成しています。
空港の近くは高さ制限があるため高架にできず、海老取川の河口に海底トンネルを作りました。
高度成長で地価が上昇していたうえ、用地買収に時間がかけられないため、民有地をできるだけ避け、川や堀、運河の上を活用して建設が進められました。
1962年に最初に開通した京橋-芝浦間は築地川や楓川を干拓して、川底を利用しました。
日本橋川に架かる江戸橋付近ではジャンクションと都営浅草線の大工事が同時に行われていました。
幹線道路の上にも高架がかけられていきました。
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