【1964年の東京オリンピックに向け・・・首都高 開通】
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1964年の前回のオリンピックに向けて、東京はインフラ整備が急ピッチで進み、景色が大きく変わりました。
道路、鉄道、建造物などが生まれた当時の映像を、シリーズで公開します。
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これは1963年12月21日、首都高速1号線、日本橋-大井鈴ケ森間の12.7kmが開通した時の映像です。
開通式典は鈴ヶ森ランプで行われました。
神事が執り行われた後、片側2車線の高架の上で、河野一郎建設大臣や東龍一郎東京都知事がテープカットのセレモニーに臨みました。
1号線は、前年の1962年に京橋から芝浦までの4.5kmの区間が最初に開通し、この日に、北側と南側が延伸されました。
通行料金は一律、普通車が100円、大型車200円でした。
オリンピック開幕まで2カ月と迫った1964年8月には1号線の空港西から、初台まで抜ける4号線が開通しました。
羽田トンネルも完成、上空からの映像は、神田橋ランプ、常盤橋周辺、
そして赤坂見附をとらえたものです。
開通の記念式典は8月1日の朝10時から、羽田空港の1号線入り口で行われました。
車は4号線、赤坂見附都心を抜けていきます。外苑出口を出ればすぐに国立競技場です。
1号線を走ると、翌月に運転開始を控えた東京モノレールの高架と並走します。
これで羽田空港とオリンピックの会場がつながりました。
3号線と4号線を結ぶ三宅坂ジャンクションの開通式は、
オリンピックまで1カ月を切った9月21日でした。
ずらりと並んだ送気口からトンネル内に外の空気を取り込み、
天井の排気口から中の空気を出すシステムは
関門トンネルでもすでに使われていました。
霞が関ランプで行われた開通式には、工事関係者らおよそ100人が参加しました。
首都高速道路公団の初代理事長、神崎丈二氏がテープに鋏を入れると、
40台の車が次々と「通り初め」をしました。
皇居や周辺の環境に配慮したという、地下ジャンクションの建設は世界初のことでした。
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