来年開催される東京オリンピックでサーフィンの競技会場になっている
一宮町・釣ヶ崎海岸。
一宮町で生まれ育った“地元出身”のプロサーファー、大原洋人選手(24)は、2015年、アメリカ・カリフォルニアで開かれた国際大会で日本人初優勝を飾るなど、これまでに数多くのタイトルを獲得してきました。
大原選手は、11月、一宮町・釣ヶ崎海岸で開かれた「ジャパンオープン」でも見事優勝!
東京オリンピック代表の最終選考をかけた、世界選手権への出場が決まりました。
しかしながら、代表選手枠2人のうち1人はすでに内定していて、残りの枠は“1人”のみです。
ジャパンオープンの優勝からおよそ2週間。
大原選手にいまの気持ち、そして東京オリンピックへの思いを聞きました。
プロサーファー 大原洋人 選手
「素直に嬉しいし、何よりホッとしています」
「五輪への道が繋がったのが凄く良かったと思うし、(自分は)ことし始まってからが1番強いかなと思う。とりあえず、1歩」
今月3日、ジャパンオープンの男子決勝。
決勝では、4人の選手が同時に海に入り、25分間で技の難易度などを競い合います。
1回のライディングは10点満点で評価され、点数が高い2本の合計で順位が決まります。
負ければ東京オリンピックへの道が絶たれる局面で、ほかの選手たちが次々と技を繰り出すなか、大原選手は、開始10分を過ぎても一向に波に乗りません。
そこにはある戦略が…。
プロサーファー 大原洋人 選手
「優勝しか意味がなかったし、点が出せる波しか乗らないようにしようというのが作戦だったので。最初の10分は自分が乗りたい波が来なかったかな」
そう、“高得点が狙える好条件の波だけに乗る”
それが大原選手の作戦だったのです。
結果をみると、大原選手が25分の制限時間内で波に乗ったのは、たった4本。
4人のなかで最も少なかったものの、3本目には8点を超える高得点を叩き出し、優勝をものにしました。
プロサーファー 大原洋人 選手
「波のコンディションがあれだけ難しいなかで1本の波に3回の技をすることとか、すごいスピートに乗ってターンが出来たし、あの状況でも8点貰えたのかなと思います」
大原選手躍進の裏には、5年以上、二人三脚で戦い続けてきたトレーナーの鈴木一弘さんの存在がありました。
トレーナー 鈴木一弘さん
「(優勝は)僕も涙出ましたね、嬉しかったです」
ことしは、新型コロナの影響で思うような海でのトレーニングが出来ないなか、鈴木トレーナーの指導のもと、サーフィンの体の動きに合わせた
室内トレーニングの時間を増やしたことで、技のスピードや精度が向上し、レベルアップにつながりました。
トレーナー 鈴木一弘さん
「今までやってきたサーフィンを1回しっかり見つめ直して、体幹を強化しよう、足を強くしていこう、反応を早めようというのをずっとやってきて、言ったことはきちんとやってくれるタイプなので、それが身になったのかなと思います」
さらに、鈴木トレーナーの“あるアドバイス”が決勝での高得点獲得に繋がりました。
トレーナー 鈴木一弘さん
「風が変わって、波が全く来なくなったように見えて、場所を少し動いた方が良いと指示したんです」
プロサーファー 大原洋人 選手
「(指示を受け)左に動いたときに、本当に乗りたかった所の地形が見えて、その発見のおかげで決勝の波に乗れたって感じだったので、すごい良かったと思う」
“波を待つ場所を変える”
信頼のおける鈴木トレーナーからの的確な指示が、ジャパンオープンの優勝を引き寄せました。
息子の活躍をすぐそばで見守る大原選手の父親は…
父親 大原剛さん
「おめでとう、と言いましたね素直に。頑張ってよかったねと」
「やっぱり五輪も当然出てほしいですし、会場(釣ヶ崎海岸)に慣れているというのも大きいので、とにかくケガしないで、今までやってきたことを信じて突き進んでほしいですね。夢にむかって」
ジャパンオープンの優勝で、東京オリンピック出場に向け、大きな1歩を踏み出した大原選手。
生まれ育った一宮町で開催されるオリンピックへの出場を目指します。
プロサーファー 大原洋人 選手
「五輪への道もどんどん狭くなってきて、負ければ終わりだし、でも負けたくないし、これから五輪に対してある試合はひとつひとつ勝てるように頑張って、五輪ここ(釣ヶ崎海岸)で出来たらいいなと思っています」
“オリンピック”最後の1枠は、来年5月にエルサルバドルで行われる
世界選手権で決まります。
大原選手が東京五輪に出場する条件は、すでにオリンピック出場を決めている選手を除き、上位5位以内に入ること、かつ、同じく日本代表で出場する村上舜選手よりも上位にならなければなりません。
世界選手権まで残り半年。
大原選手の挑戦は続きます。