11日午前行われた、北京五輪スノーボ-ド男子ハーフパイプの決勝。
予選をトップで通過した新潟県村上市出身の平野歩夢が大舞台に挑みました。
冬のオリンピック3度目の挑戦でつかんだ、悲願の金メダル。
快挙を成し遂げた裏には、苦難を乗り越え挑戦し続けてきた姿がありました。
【平野歩夢 選手(当時4歳)】
Q何歳ですか?
「4歳」
Qきょうの調子はどうでしょう?
「わかんない」
4歳のとき、スケートボードとともにスノーボードを始めた平野歩夢。
父・英功さんの指導を受けながら練習に励んでいた少年には、ある大きな夢がありました。
【平野歩夢 選手(当時11歳)】
Q将来の夢は
「オリンピックに出て優勝すること」
そんな平野の憧れは、スノーボード界の神様とも称されたショーン・ホワイト。
トリノ、そしてバンクーバー五輪で2連覇を達成していた絶対王者です。
【平野歩夢 選手(当時11歳)】
「ショーンみたいに高く飛べるような選手になりたい」
スーパースターの姿を追っていた平野は8年前、ソチ大会で初めてのオリンピックに出場します。
ショーンホワイトが4位で終わる中、当時15歳の平野が手にしたのは銀メダル。
憧れの絶対王者を超えたかに見えましたが、それから4年後の平昌オリンピック。
再びオリンピックの舞台に立った平野は、持ち味の高さを活かしながら難度の高い技を次々と成功します。
しかし、憧れでライバルのショーン・ホワイトを前に、平野は2大会連続の銀メダルとなりました。
【平野歩夢 選手(2018年)】
「すごい過去一の戦いがオリンピックでできたのかなと思う」
すべてを出し切っても超えられなかった壁…。
このオリンピック後、平野は「新たな挑戦」を口にします。
【平野歩夢 選手(2018年)】
「スルーするわけにはいかない」
スケートボードでの東京オリンピックへの挑戦でした。
しかし、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックは1年延期に。
それでもスケートボードとスノーボードの練習を続けた平野は去年夏、夏・冬オリンピック出場を実現させました。
【平野歩夢 選手(去年)】
「楽しめたのが一番強い。この経験を次にいかしていきたい」
この挑戦で感じたのが「チャレンジ」することの意味でした。
東京オリンピックからわずか半年・・・。
三たび冬のオリンピックの舞台に立った平野。
高い壁だった憧れの存在ショーンホワイト。そして、弟の海祝とともにメダルをかけた決勝の舞台に臨みました。