ロシアがウクライナに侵攻を始めてからまもなく1年になります。安全な練習環境を求めて新体操の強豪国ウクライナの新体操の選手団が日本に避難し、練習を続けました。戦禍のなか、スポーツの“戦場”で闘う選手たちを取材しました。
群馬県高崎市。国際大会で上位を目指すウクライナの新体操選手ら29人が集まりました。
ロシア軍の攻撃で母国での練習が困難になった選手団を高崎市が招き、練習場所と滞在施設を提供しました。選手たちは、来年に迫るパリオリンピックや国際大会に向け練習に打ち込みました。
練習拠点があるキーウでは今もなおロシア軍のミサイル攻撃が続き、体育館のすぐ近くにもミサイル攻撃がありました。
ヘッドコーチ、イリーナ・デリューゴナさん:「私は子どもたちをウクライナ西部の街ウジホロドに連れていきました。まず、とても寒かったです。本当に寒かった。高さ4メートルの小さな体育館を借りましたが、そこには(寒すぎて)短時間しか居られませんでした」
家族が戦場で戦う選手も多くいます。19歳のチームのエース、ビクトリア・オノプリエンコ選手。東京オリンピックでは個人総合10位でした。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「戦争が始まった時は怖くて大変でした。正直に言うと、もう全てのキャリアが終わったと思いました」
侵攻後はキーウから西部の街に避難し、戦禍のなかで練習を決意しますが。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「(停電で)練習場は寒かったですが、夜中まで練習することを決めました。しかし暗すぎて何も見えませんでした」
これは、ウクライナで開かれた大会で試合中に停電が起きた時の様子です。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「観客や審査員がスマホのライトで会場を照らしてくれて少しは見えるようになりました。しかし、かなりの集中力が必要でした」
ウクライナでは練習できる場所がない。こうして、選手たちは去年秋に一時避難した高崎市に再び行くことを希望しました。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「ここ(高崎アリーナ)にいさせてくれて本当にありがたいです」
練習環境は整いましたが、オノプリエンコ選手の家族はバラバラになりました。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「私の父は戦争が始まって以来、兵士として前線にいます。残念ながら連絡は毎日取れていません。お父さんが今どこにいるかすら分かりません。毎日お父さんのことを心配しています」
家族は攻撃が続くキーウで今も暮らしています。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「お母さんは今キーウに1人で残されているから心配なんです。(ウクライナに帰ったら)家族を抱きしめたいです」
練習中は真剣な表情を見せていた選手も食事の時は笑顔を見せてくれました。
合宿中、高崎市で開催された新体操の大会に、全国から集まった中高生とともに出場しました。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「たまに、うまくいかない日もあります。気分が沈み何もかもやめて家に帰りたい時もあります。しかし、兵士には兵士の戦場があるように、私たちはスポーツ選手としてスポーツの戦場があります。それが毎日練習を続けられるモチベーションです。だから私たちは勇敢で強くいなければならないのです」
帰国の直前、選手と交流してきた地元の子どもたちが集まり、プレゼントや手紙を手渡しました。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「(日本の子どもたちが来てくれて)とても明るく、幸せな気分です。ここで安全に練習することを受け入れてくれた高崎と日本にとても感謝しています」
地元の中学生:「前回は中学校で交流させていただいて2回目に会えて顔を覚えていただけてうれしかったです」
暗闇の中でつながるウクライナと日本。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「戦争が終わってウクライナが勝利したら、両親と一緒に日本に来て案内してあげたいです」
迎えた帰国の日、高崎市では選手らのために送別セレモニーが開かれ、市民から集めた募金などおよそ58万円分の目録が選手団に渡されました。
高崎市をあとにした選手たちは、22日からエストニアで開催される大会に出場します。
ビクトリア・オノプリエンコ選手:「ウクライナは世界で一番素敵な国だと全世界に見せるために勇気と強さが必要です。ウクライナの国旗を一番高い場所に上げてウクライナ国家が流れるようにしたい。すべてが良くなるように」
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